>>>クラクフ観光中心
ワルシャワ観光中心
食べ物中心
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ウィーン乗り継ぎでポーランドに行ってきました。時差・夏は7時間。
成田〜ウィーン 10時間半、 ウィーン〜ワルシャワ 1時間ちょい? です。めっちゃ遠い!
ウィーンで飛行機が1時間半遅れてて、ワルシャワについた時には日本時間の深夜2時とか3時でした。
成田も遠いから、朝家を出たのは5時位だったんですけど、ほんと遠い。
ベラルーシ上空
ガイドさんが、ワルシャワが東京ならクラクフは京都っていわれてますねって言ってた。
> クラクフ(Kraków 独:Krakau
クラカウ)はポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都。ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、
>17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。
>ポーランドの工業、文化の主要な中心地でもある。
>ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城(英語版)を中心としてヴィスワ川両岸に広がっている。人口は約75万で、これはワルシャワ、ウッチに続く第3の規模。
ウィキペディア先生から引用
バルバカン。
円形の砦。ヨーロッパに3つしか残ってなくて、ここクラクフとワルシャワとあと、フランス?にあるらしい。
これ、下に倒れてるのはドイツ騎士団らしい。不憫。
色んな説明を沢山聞いたから、ちょっと記憶に自信が無いんだけど、リトアニアの人だって言ってて
多分、ポーランドの女王様と結婚したリトアニア大公のヨガイラさんだと思うんだけど… 参考
ドイツに占領された時には当然壊されたけど、また作ったんだって。
門の内側。
軍は無くて街は自分らで守るので、家具屋のやぐら、靴屋のやぐら、とか決まってて、職業別に分かれて外敵から街を守るらしい。
旧市街。
どっかの建物に、ラテン語?で
蟻が海を飲み干すまでこの建物は残るみたいな事が書いてあるんだって。
馬車がいっぱい。
多分京都の人力車みたいな感じ。
ぼーっと歩いてたらひかれそうになって、現地のおばあちゃまにぐいーって引っ張られて、びっくりしたー!って顔したら
ガハハ!って笑ってました。
メインみたいに映ってるのは知らない人です。
中央広場(ヨーロッパ最大?200メートル四方)と織物会館。
早朝だから人がいないけど、午後は凄い人でした。
ゴスロリっぽいかっこしたお姉さんがいて、こっちをじっとみてたから、じっと見つめ返してみました。
まだ海外旅行はじめての観光しはじめなので、人見知りもあって外人さんと上手くお話できません。
前日の夜、ホテルのエレベーターでカードさしてぬかないとボタン押せなくて、よくわかんなくてオロオロしてたら
言葉はわからないけど、これでもかと優しい声で何か言ってやってくれたお姉さんがいたのですけど
お辞儀するのが精一杯で何も言えなくって残念でした…。
向かいの聖マリア教会。
昔からずっと、夜中も消防士さんが1時間おきにラッパを鳴らす。
途中で途切れるのはオスマントルコ?が攻めて来たのを知らせようとして矢を受けたから、っていうのが有名だけど
それはアメリカ人の書いた絵本の創作で、時代考証的にそれはあわないです、って現地ガイドさんがいってた。
えっ…事前に調べてめっちゃ信じちゃってたよ…
さてこの日は丁度、イースターの1週間前の日曜日だったので、「ヤシの木の日曜日」っていって
ヤシの木をもって教会に行く日なんだって。
バベル城の大聖堂には人が沢山沢山いて、神父さんが本物のヤシの木のはっぱ抱えてました。
(ものすごく厳かだったので写真は自重しました)
でも、むかしポーランドの田舎にはヤシの木がなくて、その話だけ伝わったので、信者の人は
「俺の考えたかっこいいヤシの木」
をもっていく習慣になってしまったらしい。
広場の屋台?で売ってたヤシの木(?)
う、ウサギ…
こういう屋台がいっぱい出てた。あんまりお店撮影するのよくないかなって思ってあまり撮ってないけど、
ここはなんか、おう日本人見ていけよ!って感じだったので撮らせてもらいました。
あとこれは別の日にいった、クラクフじゃないんですけど、これも「ヤシの木」らしい。
この街ではイースター前に「誰が一番高いヤシの木を作るか大会」
をやってて、世界的に有名らしくて、
「昔カナダに住んでたときもテレビで毎年これは紹介されてました!皆さんラッキーですね」って現地ガイドさんもややはしゃいで自分用の記念写真撮ってた。
手に持ってるのヤシの木()
優勝者のヤシの木、31メートル
ヤシの木とはなんだったのか…
ポーランドの人可愛いな
「見てこれ!俺の考えたヤシの木マジ可愛いし!」みたいな?可愛いなおい…
織物会館の裏はイースターの市場。
なんかあんま人ごみで写真とってたら危ないのかな…って思ってすみっこでとったけど、もっと色々お店が出てて
真ん中の方は人もお店も沢山で賑やかでした。
ツアーでいったので基本は団体行動なんですけど、30分位自由行動でお買い物できました。ここでサコティスを買いました!
今、私のビビリ具合がMAXです。アジア人殆どいないので目立つし。
ツアーも、お仕事定年迎えられたおじちゃまやマダムばかりなので、20代は私と添乗員さんだけで、やっぱ若い女(私はそんなに若いわけではないけれど)は目立つのです。
コペルニクスが勉強してた大学。
天皇陛下がポーランドに訪問した時は、ここでごはんを食べました。って言ってた。何故。
飛行機は専用機が使えるかの打ち合わせに通訳として私も行きましたが、物凄くいっぱい飛行士?がいてびっくりしました〜
とかサラッと言ってた。
お昼ごはんの後は半日自由行動なので、1人でとことこ歩いてヴァヴェル城に行きました
右の像はコシューシコさん。
「ちんこ見せろし!」の現場はこの城かと思うのですがどうでしょう。
この城の裏に、人を食べてて退治されたドラゴンが住んでた洞窟が残ってて、
ここの大聖堂には、ポーランドとリトアニアが「結婚して同盟」した、ポーランド女王ヤドヴィガさんとリトアニア大公ヨガイラさんのお墓もありました。
ポーランドリトアニア共和国(連合王国)のマークだよね????
参考
中は撮影禁止のところが多くて、あんまり写真が無い。
でもこう、天使?が片手にポーランド、片手にリトアニアをいだいてるみたいな織物とかあった。
ワルシャワにも、天使が2人いて、それぞれポーランドとリトアニアの国章もってる模様とか沢山あった。
ドラゴンの住んでた洞窟
ドラゴンの像が火を噴くんだけど、風が強くて燃えてるみたいに…;
お土産やさんはドラゴンのぬいぐるみが沢山ありました。
大聖堂。左に下がってるのはお守りのマンモスの牙
あれが堕ちたら世界が終わるんだって。
何故マンモス??
写真の人じゃないけど大聖堂のモギリのお兄さんに、「日本から来たの?ポーランド語話せる?」ってポーランド語でめっちゃ親しげに話しかけられて
何言ってるかはわかったけど、私は発音できないからお話できないし、簡単な言葉しか聞き取れないので
喋れないよ〜ってジェスチャーをしたら、「んー、コンニチハーアリガトーサヨナラー」って知ってる日本語いっぱい並べてくれたので
じんくいえー!(ありがとう)って頑張って笑顔で手を振ってみました。
コミュ障、何度もいいますが今がビビりMAXです。
チケット買うのも、一言も喋れなくて指差して買うだけです。
多分、さんきゅー!とか言うべき所はお辞儀するのが限界です。
簡単な言葉なら本当はわかったので、多分もうちょっと勇気出して頑張ればこの時もう少しお話できたと思うので、今思うとすごく残念です。
お庭
お城の横にはカティンの慰霊碑があって、ポーランドの国旗と緑の旗?をもった人たちがろうそくを灯して歌を歌っているのを、
警察の人がぐるっと囲んでるところに遭遇しました。
(詳しい説明はウィキペディアのカティンの森事件の所にあるけど、遺体写真とかあるので注意。)
第二次世界大戦のときに、ポーランドの将校や警察の人たちが何万人も殺されて、ずっとドイツがやったってされていたけど本当は殺したのはロシアで、
だけど社会主義の間はロシア(ソ連)の影響下だから言及できなくて、
更には2010年に追悼式典に参加するためにポーランドの大統領夫妻と政治家や要人の乗っていた飛行機がワルシャワで墜落して全員が亡くなる…っていう…
詳細>>ポーランド空軍Tu-154墜落事故
お城の地下にはこの方々のお墓もありました。
勉強不足であの集会は定期的にやっているものなのかなって思ったんですけど、今これを書くのに資料を見ていたら、丁度私の行った4月13日が、カティンの森事件被害者追悼の日だったんですね…。
この2重の悲劇はちょっと本当に、本当に言葉がないです…
城の中庭から。
美術館が閉鎖中なので、レオナルドダヴィンチの絵は今お城にあります。見ました。
で、ここで気がつきます
携帯電話がない。
ロングカーデのポケットに入れてて、ツアーバスの中でも1度、座ってる時に落としたので、
さっきベンチに座って地図を見てたときに落としたんだ!ってベンチに戻ったけど、ありません。
何度もいいますが、ビビリMAX状態です。
というか日本でも人見知りなので、飲み会とか隅っこで「あ…あ…」ってカオナシみたいになってるのがせいぜいです。
そして私は英検5級()です。落し物なんて単語しりません。自由行動中なので、添乗員さんもいません。(別の街にいる)
途方にくれましたが、しょうがないので、お城の案内所にいって、ポーランド語でこれを書いて見せました。
というか、事前に、「タクシー呼んでください」「道に迷いました」とか、
トラブル関係の定型文は念のため少し勉強してノートにメモしていたので、これはなんとか書けました。
携帯電話なんて単語はわからないので絵で。
一応「どうしたらいいですか?」と「無くしました」って書いた…はず???
正しいかはともかく、案内所のお姉さんが「オウ…」って言ったのでとりあえず通じたみたいです。
が、通じたので当然ポーランド語で詳細をきかれるんですけど全然聞き取れなくて「??????????」って首を傾げていたら
「きゃっする?ひる??」ってきかれて、アワアワしてたら「いんぐりっしゅおあぽーりっしゅ?」ってきかれたので
「いんぐりっしゅ…」って言いましたが、ぶっちゃけどっちもわかりません!!
で、案内所のお姉さんがどこかに電話してくれて、電話しながら「どぶじぇ」って言ったので(多分、グッド!みたいな意味)まさかと思ったけど
「じゃすともーめんと」って言われて待ってたら、5分位で警備のお兄さんが「フゥー↑」とか言いながら笑顔で携帯もってきてくれました。
何の確認もせず返してくれたので、いいのか?と思ったんですが、東洋人殆どいないので、日本語の携帯なんて落としそうなの私しかいなかったんでしょう。
外国で落とし物とか戻ってこないと思っていたので
ぽーらんどの人優しすぎ感動した。(´;ω;`)
2008年モデルのクソガラケー(圏外)だから別に誰もいらなかったんだと思うけど!
でも届けるのもひと手間だよ!
このお兄さんにお礼を、お礼をいわなくては、と思って、「じんくいえ!じんくいえばるぞ!!」って言ったんですけど、
RかLか咄嗟におもいだせなくてテキトーな発音したらめっちゃ笑いをかみころしてました。
90度でお辞儀して畳みかけたら笑ってたw
まあ、馬鹿にして笑ってるというより、「おう、気をつけてなお嬢ちゃん(笑)」みたいな顔してました。(お嬢ちゃんて歳じゃないけど、子供に見えてるんだろうなという感じがした)
*
Dziękuję
bardzo です(Rでした)
ぐーぐる翻訳さんで音声ボタンを押すと、正しい発音が聞けます
受付のお姉さんにも、じんくいえばるぞーってお辞儀したらにこにこしてたので、
ポーランドの人いい人だ…(´;ω;`)
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スーパーのレジ横で売ってた、ひよこ。多分イースターの。
スーパーのお兄ちゃんが「え、これも買うの?」ってジェスチャーしてた。買うよ!日本円で40円位だった。
ホテルの朝食会場のテーブルにもいた。
はじめての海外が不安すぎて連れて行ったケロロ軍曹。
帰ってきたらちゃんとベッドメイキングの人がお布団かけてくれてました。
日本人は鞄で席を取ってそのままレジいったりするから〜って言われるし、財布は見せちゃいけない!とかきいてたけど
少なくともホテルの朝食会場では、外人さんたちふつーに鞄で席とって取りに行っちゃうし
お城のチケット売り場でも大分前からお財布出してお金出したりしてて、あんまり治安悪くないのかもしれないと思い始める
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ヴィエリチカ岩塩坑(世界遺産)
ハンガリーから嫁に来たお姫様が指輪を投げた所を掘ったら塩が出た的な話。
でもそのお姫様はとても頭がよくて本が読めたので、(ポーランドの王子はその頃まだ読めなかった)
昔からそのあたりの水がしょっぱいことを知っていたのではないか、ということらしい。
ハンガリーとはずっと仲良しだから、お互いの王家に適切な子供がいなくなったら王子や姫をあげる(?)約束をしてたらしい
大聖堂。
彫刻とかも全部塩でできてる。
壁も床も塩だから食べていいです、チケット買ったら2キロまでの塩食べるのOKです。って言ってた。
ポーランドジョークなのかガチなのかはわからない。でもその辺に落ちてる塩のかけらは持って帰ってもいいらしい??
ここの岩塩坑にはオバケと小人が出るらしい。
でも、オバケは危険を教えてくれて、小人は仕事を手伝ってくれるから、怖くは無いですよ、って言ってたけど
5〜6回カメラのシャッターがおりなかったんですけど…。私今まで、オバケの出そうな所にいくと、大体いつもシャッターがおりなくなるんですけど…。
なんかこう、よく写真に写る光の玉みたいなやつも、オーブ?とか言う人を、光の加減だろwwwwwファーwwって思って生暖かい目で見る人間なんですけど
ここで撮った写真にはめっちゃいっぱいそれが写ってたので、何枚かそっとのせておきますね。
たぶん暗いから空気中のホコリに反射とかしてんだろ?と思うけど。
あ、でもここで働くのは落盤とかメタンガスで危ないけど、お給料もいいし、社会的な地位もあって、人に自慢できる職業だったそうです。
そんなに必死に働かなくてもお金が沢山もらえるから、空いた時間で彫刻作ったりしたし、中に教会や遊ぶ所もあるし、楽団もあったんだって。
塩の湖と、塩でできたシャンデリア
今はもう塩ほって無いけど、水が湧くので溶けないように定期的にその水を取らなきゃいけなくて、水に塩が溶けてるので
それだけでクラクフの食塩はまかなえちゃうらしい。
出たら若い男の子が手に雪球みたいなのを持っていたので、塩?と思ったら、ヒョウが降ってました。
この日の天気は、
くもりのち晴れ時々雨のちヒョウのち晴れのち雷雨+強風
毎日30分ごと位に天気がぐるぐる変わるので、ポルスカ様どんだけ気分屋だ?!
と思いました。
ポーランドは天気が変わりやすいし、毎年全然違うから、計画を立てても無駄になります(農民が多いので天気に左右される)
だからポーランド人は計画をたてるのが苦手という民族性があって、その代わりにすぐ決めてすぐやることができます。
日本は、梅雨とか台風とか時期が大体決まっているのでしょう?ってガイドさんが言ってました。
クラクフとワルシャワでガイドさんがちがったんですけど、クラクフのガイドさんは自分の話色々してくれて楽しかったです
EUに入って、パスポートなしであちこちいけるようになったので、中学生の娘さんは修学旅行にバスでイタリアにいったんだって。
社会主義のころはパスポートも警察で取って、帰ってきたら警察に返さなければいけなかったので大変だったって言ってました。
ポーランドは弱いのに隣にロシアがあって不安だったけど、ヨーロッパの一員になった安心感がある、って。
社会主義のときに毎月デモがある日があって、自分は家にいたけど、クラスの男の子が遊びで参加して
催涙ガスの臭いの服を翌日もってきて皆に嗅がせて、ヒーローみたいだった。
ソ連は強すぎてそんなことをして遊んでもずっとずっとこのまま変わらないと思っていたけど、変わって本当にびっくりした。
ああやってずっとデモをしていた人たちは、今から思えばやっぱりヒーローだったと思う。
あんな信じられないことがおこるから、北朝鮮と南朝鮮が仲良くなる未来もきっとくると私は思う、っていってました。
バス移動の時の虹
ポーランド人はキノコ狩りが大好きで、誰が一番凄いきのこをたくさん採るか競争するし、電話で家族や友達に自慢します。
朝はやくいかないとイイのをとられてしまうので、明るくなったらもう沢山人がいます。
私の友達も、朝の6時にママに電話して「これ食べられると思う?これくらいの大きさで、色は…」って言って怒られてました、って言ってて
ぽーちゃんで想像して萌え悶えました。
キノコは、毒キノコやおいしくないキノコが多いので、キノコ狩りには知識と経験が必要です。
本で勉強しますが、絵だけでは駄目、ちゃんと文章も読んで、匂いや変色具合、大きさなども含めて覚えなければいけません。
はじめは得意な人と一緒に行くか、役所にキノコを見分けるライセンスを持った人がいるので、その人にとったものを仕分けてもらうか
現地で近くの人に聞いて分けてもらいます。
幼稚園の頃から、キノコのすごろく?で、毒キノコのコマに止まったらスタートに戻る遊びをしているので、毒キノコがある事は皆よくわかっています。
お昼前には家に帰って、残り1日キノコと遊びます。(本当にこの言い方だった)
虫に食われた部分を分けたり、新鮮なうちにソースやピクルス、スープを作ります。
ポーランドの森は歩きやすいです。森を歩くの好きな人が多くて、私も好きです。
日本で森に入って道じゃない所にいったら、3メートルくらいで動けなくなりました。
*ここでまたぽーちゃんで想像しました。
日本に遊びにきて、道のない森に分け入り動けなくなって「ありえんしーーーー!!」ってなってるの超可愛いです。
祖国が「ポーランドさん、どうしてこんな道でもない所に入っちゃったんですか…」って助けに来る。可愛いです。
「森歩きしてキノコとろうと思ったんだし…;;;」
蛇も殆どいないし、いても毒は無い。マムシはいるけど、キノコを採るようなところにはいないです。
大きなハチもいない。猪はいて、3回位出会ったけど向こうが逃げました。
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バスから眺めていると幼女が1人で歩いていて、スクールバスとか無いです、自分で歩きます。って言ってたので、やっぱ治安はいいみたいです。
でも学校終わるのは12時なんだって。はやい。
共働きが殆どだから、学童保育で学校にいるか、家におばちゃんが来て面倒を見てくれるか(ベビーシッター的なもの?)っていってました。
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クラクフがユネスコ世界遺産になった時、一番最初の数箇所のうちのひとつだったから
「ふーん」って感じで目立たない所に小さい記念プレートをつけたんだけど、後で物凄く有名になって
世界遺産なのにプレートをこんな所に小さくつけてるだけなんて珍しい場所になったんだって。